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1975年9月9日火曜日
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三村一貴『論語註 其一 附 序詞』

Phase 2: 三村一貴『論語註 其一 附 序詞』に対する、宮田晃碩のexpression  大学のレポートで『蜻蛉日記』のある一部分を検討しているとき、突如として悟ったことがある。即ち、あの「日記」には著者である道綱母の人生が賭けられているのだ、ということである。「……...

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水口智仁『技術者の倫理と医学教育に関する論考』

Phase 2: 水口智仁『技術者の倫理と医学教育に関する論考』に対する、石川夏子のexpression  水口氏は自論で「そんなこと、工学をやっているものなら誰でも思いつく当たり前の話だろう」と言われたと述べていたが、「技術者の倫理」というものが果たして自明のものであった...

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吉村勇志『倫理とコミュニケーション』

Phase 2: 吉村勇志『倫理とコミュニケーション』に対する、水口智仁のexpression  本論説で吉村氏は、「異なる思考プロセスを持つ者同士の対話は極めて困難」と主張している。このことは大学等で専門教育を受けたことのある人なら実感を持って理解できるのではないか。私は...

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鷲見雄馬 "Against translation"

Phase 2: 鷲見雄馬 "Against translation"に対する、大川内智海のexpression  言語がそれ自身として指し示すモノやコトが存在するか、というのは意外に厄介な問題である。話し手ないし書き手が言語を用いて指し示そうとしたモノ...

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Jonatan Bulo "Talk to ladies, Watch the Vlogbrothers and Learn English!"

Phase 2: Jonatan Bulo "Talk to ladies, Watch the Vlogbrothers and Learn English!"に対する、大場悠大のexpression 「自由について書こうと思ったんだ」 「自由?」 ...

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吉村勇志『工学と社会の在り方について』『工学とその安全性、原子力等について』

Phase 2: 吉村勇志『工学と社会の在り方について』『工学とその安全性、原子力等について』に対する、徳宮博文のexpression  以前、吉村氏との議論の中で、私は「哲学は前提が無い学問である。それに対して、工学は役に立つことをするという前提がある」と言ったことがある...

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鍵谷怜『二重奏の愛 ――アルチュール・ランボー「錯乱Ⅰ」』

Phase 2: 鍵谷怜『二重奏の愛 ――アルチュール・ランボー「錯乱Ⅰ」』に対する、三村一貴のexpression   「錯亂Ⅰ」の原文を讀んでみた。原文は言はば賦であるが、翻譯は些か散文的で、それ故あまり「錯亂」してゐないやうに感ずる。岡目八目ながらわたくしも一部分を譯...

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大川内智海『自然言語の意味論に関する2つのノート』

Phase 2: 大川内智海『自然言語の意味論に関する2つのノート』に対する、高橋忠宏のexpression  名詞・動詞の区別は表層的には定義できるが、深層においては困難である。「野球しよーぜ」という文の場合、「野球」は表層的に名詞の形だが、意味は明らかに動詞である。大川...

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大江弘之『若者と大東亜戦争』

Phase 2: 大江弘之『若者と大東亜戦争』に対する、吉村勇志のexpression  歴史を動かすダイナミクスとは、果たして歴史学ないし文献から得られるものなのであろうか。複雑系科学の観点からすると、これはかなり疑わしいのではというのが私の意見である。即ち、一般に考えら...

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三村一貴『これをおもへば』『これをおもふは』

Phase 2: 三村一貴『これをおもへば』に対する、宮田晃碩のexpression  私は嘗てこう書いた。「私が読むとき、そこでの誠実とは、書いた人に対して為されるものである。もちろん古典を読むときなど、その言葉は私を想定して発せられたものではない。それでもやはり、その言...

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宮田晃碩『待続――持続の代わりに』

Phase 2: 宮田晃碩『待続――持続の代わりに』に対する、鍵谷怜のexpression 待=持  「待つ」とはどういうことだろうか。我々は、だれかを、なにかを、「待つ」。  それは、だれかを、なにかを、「持つ」ことへとつながっていくだろうか。  わたしたちは「意...

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徳宮博文『『真理への「病」』と題されたメモ書き』

Phase 2: 徳宮博文『『真理への「病」』と題されたメモ書き』に対する、吉村勇志のexpression  哲学は誤魔化しに過ぎないという感を得る文章であった。そう思った切っ掛けは“「『分析哲学』は『現代思想』ではない、人文学ではない」という 命題は、厳密な意味において間...

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大場悠大『宙ぶらりんの記憶』

Phase 2: 大場悠大『宙ぶらりんの記憶』に対する、鷲見雄馬のexpression 平成二十六年三月二十九日 「君はなんて無機質なんだ!」  〈僕〉は彼の眼前で呟いた。「いいかい、僕に言わせれば、君ほどつまらない表情をした奴はいないよ……どうせ君はほうぼうであの何...

 
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