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2016年1月7日木曜日

【委員連載⑭】 さんすうと教育


 僕は大手進学塾Aで,中学受験の算数を教えている.もちろん高々学習塾であるし,徳宮君が論じた教育とは重みの違いは明白だ.
 それでも僕は,彼の文章を読見,自分の塾講師の経験を思い返してみた.
 僕が教えている算数は中学受験対策用ではあるが,僕自身その延長線上を専門としているし,僕が生徒くらいの年だったとき,算数は好きな科目の一つだった.
 だから,教え始めた時は,算数の面白さを伝えてみたいという気持ちがあったことは間違いないだろう.
 しかし,回を重ねるにつれて脳裡に浮かんだのは"遂行"のふた文字だった.

――――――

 進学塾Aでは,授業のクラスをテストの成績で決める.テストは月に一度あり,その時その時の成績を反映してクラスを変える.
 学年が上がるにつれ,その頻度は増し,最終学年である6年生は,授業ごとの小テストの点数でクラスを変える.授業のクラスが変わることは,先生が変わることを意味する.そして教材が変わることを意味する.結果として,志望校が変わることも珍しくない.予備校のサービスを最大限享受するには,いい点を取り続けるしかない.
 となると,生徒(あるいは保護者)からの授業に対する要求事項は,「テストで高得点をとれる授業」ということになる.授業を楽しむことは,大多数の人にとって,必要ないのだ.授業を終え,カリキュラムを遂行し,生徒が笑顔で帰っていくのを見て,僕はホッと息をつくのだった.
 進学塾とは,『目の前のテストで高得点を重ね続けること』の延長線上に『良い中学への進学』が存在するように設計された緻密なシステムのことである.現場にはシステム化された完璧な教育がある."手段と目的を取り違えるな"とか"教育に競争を持ち込むな"とか言った,耳慣れた議論は現場に通用しない.そこには圧倒的な力と実績に裏付けられた完璧なシステムがあり,そのシステムの力を享受せんことを望む大多数がいる.最大多数の最大幸福の原理を粛々と遂行してきた,教育の完成された理想的な姿がそこにあるのだ.


 僕は幸いにもこれまでの人生に素晴らしい教師に巡り会ってきた.椋鳩十,新美南吉といった作家の,十数ページの題材を三ヶ月かけてみっちり読みこんだ小学校の国語の授業.復習テストはなく,代わりに読書感想文をたくさん書いた.小六のときは授業の一環として,自分の"生い立ち"を調べて本にした.原稿用紙100枚が目標だったが,ほとんどの人がそれを大きく上回っていたように思う.予備校の授業もよく覚えている.何の科目にせよ,予定から遅れてでも生徒の好奇心ままに進むあの授業が毎回楽しみだった.予定調和などないあの授業たちが,僕にとっては理想だった.残念ながら僕の今の進学塾では,その姿は見あたらなかった.

 システムの力は偉大だ.人々に負荷をかけない交通システムも,適切な診断と治療を迅速に行うシステムも,21世紀に入りさらにその進歩の速度を増し,我々はより多くの恩恵を受けている.僕の専門の物理実験でも,効率良く実験を行えるシステムの整備は常に不可欠である.では教育は?教育はシステムと両立できるのだろうか?問いに答える難しさ以上に,現実はかなりシンプルだ.需要があるのは,志望校へ自動化された仕組みだということだ.

 だから教育者はこう口にするしかない.人々はそれを求めているんだ.それが彼らのために必要なことなんだ.

――――――

 いやいや、これもまた『教育者特有の詭弁』に逆戻りしている.諦めるにせよ,抗うにせよ.




【委員連載⑮】につづく
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