細胞と同じやうに、言葉もまた毎日慈しみ世話をしてやらなければやがて枯れてしまふ。ポーランドに来て一週間ほどになつた時、どことなく言の葉が萎れてきたやうに感じた。これは一つには會話しかしてゐなかつたためであると思はれる。ある夜スタニスワフ・バランチャクの詩の朗讀會があつて、それを聴いた後は言葉が復活したやうであつた。
第二の原因は母語をあまり使はないことである。始めのうちはポーランド語しか使つてゐなかつたが、つひに耐へきれなくなつて、今は同じく參加してゐる日本人や、日本語を解する中國人の協力を得て、日本語で話す時間を持つことができてゐる。また併せて『濹東綺譚』などを讀んで、日本語の勘が鈍らないやうに努めてゐる。
會話をする際にはどんなに下らない言葉でも必要になる。少し前に、ポーランド語で「二日酔ひ」を何と言ふか教はつた。しかし未だに「寝癖」はどう言へば良いのか知らない。「肩凝り」や「お氣の毒さま」の如き、いかにも日本語的な表現もポーランド語になることは分かつたが、「さすがだ」は何と言ふのか。
物事、動作、感情などあらゆるものは言葉で出来てゐるのだ。言葉の足りない状態は、影の濃淡しか存在しない世界に似てゐる。言葉を得るにつれて、次第に色と形が現れる。日本に歸つたら周りが極彩色に見えるだらう。
極彩色の世界にも必ず色と形の欠けた部分がある。最後まで塗り潰せない部分もあるだらう。しかしさういふ箇所を過剰に擴大して視るべきではない。人は言葉で表せないもののみならず、言葉で表せるものさへ表せられてゐないかもしれない。言表不可なるものを賞揚する思考の背後には、自己の限界を以て人間全體の限界とする傲慢がありはしないか。言表不可なるものに出會つた時の衝撃は、今まで言葉に甘えてきたことの代償である。ここにおいて、言葉を弊衣の如く棄て去るか、言葉との新たな友情を模索するかの岐路が生ずる。
ポーランド、シロンスク縣チェシン市にて
【委員連載⑨】につづく
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