こんにちは。運営委員の宮田です。
このたびこの公式ブログでは、運営委員による連載を始めることとなりました。
毎週、前週の投稿をなんらかの形で受けつつ、それぞれが書きたいことを書いていく予定です。
お楽しみいただければ幸いです。
第1回は私、宮田が書いております。それではどうぞ、よろしくお願いいたします。
*映画「パプーシャの黒い瞳」では、時代的および地域的背景を考慮し、「ジプシー」という呼称を使用しています。本記事はそれに従い、「ジプシー」という呼称を使用しました。
4月4日から上映中のポーランド映画、「パプーシャの黒い瞳」(原題:Papusza)を見てきた。美しく悲痛な映画である。
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パプーシャ、本名ブロニスワヴァ・ヴァイス(Bronisława Wajs:1908または1910 - 1987)はポーランドのジプシー(ロマ)で、詩人として知られている。伝統的な放浪生活のなかで仲間の目をかいくぐって読み書きを覚えたのだが、その詩才に目を付けたポーランドの詩人イェジ・フィツォフスキ(Jerzy Ficowski)が彼女の詩を公に紹介し、広く知られるところとなった。彼女の人生を描いた作品は、短いものがあったらしいが、長編映画に描かれたのは2013年にポーランドで公開されたこの映画が初めてである。
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言葉のことを真剣に考える者にして、パプーシャの言葉に胸を突かれぬ者はあるまい。
僭越なことながら、その残響を聞いていただきたい。
「ジプシーに記憶があったら、辛くて死んでしまう」
「詩人と呼ばないで。死にたくなる」
「詩がカネになるはずない。占いじゃないんだから。詩はその場で生まれて、過ぎ去っていくもの」
「読み書きさえ覚えなければ、幸せだった」
「全部燃やして!」
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いま私の眼裡には、モノクロの炎がありありと浮かんでいる。
その炎はしかし、パプーシャが燃やしてくれと懇願したフィツォフスキの本を、決して燃やしつくすことがなかったのだ。
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実際のところ、ジプシーにも「記憶」がないわけではあるまい――それは彼らの言葉である。しかし彼らは元来、言葉を書いて残すということをしなかった。
また彼らは旅をする。旅と音楽こそが、彼らの命であったに違いない。所を定めず、幌馬車で移動し、その夜その夜に炎を焚いて音楽を鳴らし歌う、それがジプシーの暮らしであった。
だから彼らの「記憶」とは、決して残されるものではなかったのだ。毎夜焚かれる炎のように、あるいは酒に酔って歌われる歌のように、ただ生きられ、森へと消えていくものだったのだ。移動と記憶のこの連関について、我々とジプシーの人々との間に横たわる懸隔に、思いをめぐらしていただきたい。あるいは一例として、エジプトを脱出して約束の地へ向かうモーセの一行が、いかに「石版」を必要としたかということを、想像していただきたい。ジプシーの人々は、決して「石版」を持たなかったのだ。
* * *
パプーシャはただ時代に翻弄され、悲痛な運命をたどったのだと、そう言ってしまえるだろうか。彼女の詩がポーランドに賞賛をもって迎えられたということは、何ら慰めとはなりえない。だが彼女の詩そのものはどうだろうか。何が彼女に、詩を生ましめたのだろうか。何が彼女に[あるいは人間に]、字を学ばしめたのだろうか――。
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