Marginal hint not to think (考えないヒント)
by 鷲見雄馬考えようとする人間は考えられない。考えるためには、すでに考えていなければならない。
John Cageは考える天才であった。『Music today no.18 特集:ジョン・ケージ 1912-1992』を読んだ15才の私は、読むことによって考える、ということを学んだ。すなわち、読むということが考えるということであると、ようやく気附いたのであった。もっとも私は、John Cageという作曲家の音楽には惹かれたことがない。ただ文字の来たるところが興味深かったのである。彼は考えて書いたのではない。ただ書いた。考えなかったのではない。書くことが考えることだったのである。
その頃の私はしかし、ただ書くことが可能だという事実以上に、書かざるをえなかった人間のいたことのほうに茫然としていた。芥川竜之介の『侏儒の言葉』は暗澹とした魅惑に充ちていた。彼はたしかに、いや――もう言うまい。私の彼に対する衷心だけは嘘偽りない信仰で飾られている。
私は雲井龍雄という人についての碑文をよく記憶している。次の一節が私を搏(う)ったものである――「方夜讀書思眠或以冷水灑面或含辛味以駈之猶尚不堪乃製一木棍自連撃頭上殆至滿頭生瘤嘗讀左氏傳一夕而竟其勉勵如此」(夜に読書するときには、眠気に襲われると冷水で顔を漱(すす)いだり、眼の覚めるような辛い食べ物を口に含んで走りまわった。なおも耐えられないときには木製の棍棒で頭を打ち続け、そうして頭上いたるところに瘤(こぶ)をつくるほどであった。かつて春秋左氏伝を読みはじめると一晩で読破してしまったし、彼はそういう勉強の仕方をしたのである)――そして考えたものである。このような人間はおろか、それを賞嘆する人見寧(ひとみやすし)のような人物も、もう居るまい。私は、文字のない時代に生きているのかもしれない、と。
無論、文字はある。だが文字がどこかの時代で死に絶えてしまっているとすれば、われわれはじつに偽りの世界に身を置いて、みずからをも欺こうとしているのかもしれなかった。たとえば伝統芸術における形式が形式たるゆえんを喪うのは、まさにこの瞬間である。
ここにMaurice Béjartの『他者の人生の中の一瞬…(原題:Un instant dans la vie d'autrui)』が綺羅星のごとく現れた。読むごとに、あらゆる一瞬という一瞬が爆ぜるようであった。形式の形式たるゆえんをすら知らなかった私に、形式の出づべき在処を知らしめたのはこの本であったと云っても過言ではない。そのうちに私は、「考えるべく考える」ことに代わるなにかを追求せねばならないと思うようになった。私は考えようとするのをやめ、つねに考えていた。
それより数年は、本を読むことが考えることに先決したことはなかった。ある本を読んで初めて考えさせられることがあるとすれば、それは当人の努力不足というほかない。考えるのはわれわれなのであるから、書物をそのような考えるヒントとしてのみ利用するのは、あまりに安易である。
いったい、考えるヒントはここかしこに散在している。人は、考えないヒントを教えてくれるような本をなぜ探そうとしないのか。ここにいう考えないヒント、それは私の考えの先をゆくような考えにしか見当たらないものである。私がすでに考えていなかったならば、そのヒントはヒントですらない。また、私の考えに追いつかないようなものは、考えるヒントでしかない。さればこそ私は考えることをやめなかった。それらの考えは、まだ私の考えではないかもしれないとも思ったからである。さりながら、考えないヒントにはなかなか巡り合わなかった。それほどまでに独力で考えつめていたのである。
じつのところ、目処はつとに立っていた。斎藤和広先生の『現象学的方法としての<記述> ――附、註記『記述について』――』がそれであるという私の直観は、今にいたるまで揺るぎない。私は三村一貴君のように「記述論」を細微に復元することには向いていなかったが、論の手つきや身ぶりを脳裡に焼きつけんと、一心に読み返した。この作業はまだ終わるところを知らない。なるほど単に考える[ための]ヒントにもなろうが、この著作は、考える[ことから文字を踊躍(ようやく)せしめえた者たちにのみ捧げられる]ヒントである。思うに、書くことを知り、また読むことを知る者だけが、これを考えるヒントとし、またさらには、おのが考えの輪郭を見極めるために、これを考えないヒントとするのである。
そのような考えの解剖学的極致にいたるヒントを「考えないヒント」と呼ぶのは、じつにその後の個人的な体験に由来している。日本を離れ、異国の空気に触れたとき、私はいわば生者必滅の怪(け)を目撃したのである。いま詳(つまび)らかにしないが、ポルトガル語のいうsaudadeはたしかに、考えることの極意を知る哀しさを代弁していた。
考えないヒントを確実にヒントとするためには、すでに考えている必要がある。しかし考えなかったならば、考えないヒントをヒントとすることは当然不可能である。ここに考えないヒントという衣装のからくりが垣間見える。考えないヒントとは、二重三重どころか延延と続くヒントの連鎖なのである。考えないヒントをヒントとするということは、すなわちヒントを一過性のものとして読み解くことではなく、それを日に新たに読むべきものとして、そのままに見ることなのである。かくて眼前に横たわるのは、古今東西に変わらぬ原典そのものでなければならない。われわれは考えないために考え続けねばならないのである。そのような「考え」に、私の考えもなにもあるまい。
いまEdgar Allan Poeの"Marginalia"を紐解けば、彼もまた考えの牢獄に囚われざるをえない自分自身の姿見(すがたみ)に透徹していた一人であったことが瞭然である。
“As for the multitudinous opinion expressed in the subjoined farrago ― as for my present assent to all, or dissent from any portion of it ― as to the possibility of my having, in some instances, altered my mind ― or as to the impossibility of my not having altered it often ― these are points upon which I say nothing, because upon these there can be nothing cleverly said. It may be as well to observe, however, that just as the goodness of your true pun is in the direct ration of its intolerability, so is nonsense the essential sense of the Marginal Note.”
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