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2013年10月21日月曜日

El Topo

 ≪やがて、「考え」は棄てられなければならない時が来るだろう。≫

 ――そう言ったのは他ならぬ私自身であったが、はからずも私の「考え」は、ただ1丁の拳銃によって見る影もなく四方へ飛び散り、粉々に破砕したようである。そういう実感すらもただちには湧き起こらず、盲目の健忘者のごとく日もすがら街中を歩き廻ってようやく、無惨にも頭部を失った肢体が放浪しているかのような私自身に気がついたのは、その明くる晩のことであった。

 それはエル・トポの拳銃であった。この映画を言語化すること自体が、私には禁忌のように感じられる。断言できることと云えば、この上なく幾何学的な美を輪郭の上に落とす陶器がそうであるように、重宝されることに安んじてきた、私のなかの「考え」は、もう二度と元の造形美を――したがって、自分自身であったものを――顧みまい、ということである。しかしその無数の破片は、かつてなく繊細な・現実の尖鋭をもって、私をつねになく脅かすのであった。
 スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』(1972)は、しかし私の「考え」に2つとて皹(ひび)を残さずに仕舞ったのである。それは明らかに、見せられた映像であって、現にviolence of seeingというべき官能をすらも味わいうるものであった。一方エル・トポは、彼は、何物をも見せようとはしなかった。その非演劇的行為がかえって、無作為な・予想のつかぬ、真にoutrageousな現実そのものを生み出し、私自身の目と耳に直接干渉してきたのである。自然、私は鑑賞者として見る、という演劇的役割を忘却し、しかも目前の一切を見続けざるをえない、という現実のために、かの拳銃の餌食となりおおしたのであった。
 この無上の暴力によって原形をとどめないほどの被害を受けた「考え」に、死に際の呪詛が可能であったとしても、これほどに残忍な・健康的な超現実を手中に収めた映画史の僥倖を、次のように祝福せねばならなかったであろう。

"Mátame!"
(鷲見雄馬)
* * * * * *

【映画】
題名: エル・トポ (原題 El Topo)
監督: アレハンドロ・ホドロフスキー
出演: アレハンドロ・ホドロフスキー その他
公開年:1970


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