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2013年11月18日月曜日

マリインスキーバレエの『ジゼル』

舞台鑑賞は倒錯の始まりである。二度と同じものが繰り返されない代わりに、ある一つの輪郭がしだいにぼやけ始め、二重三重としれない人間像が渾然として、見慣れたはずの肉と肉に影を曳くのである。それはよく言われる一回性の芸術であるが、ともすると襲(かさね)の色目のように、隠れ隠れする幻夢を匂わせ、見るものなぞるものを悩ませるのであった。
 ――ある記憶。あまりに悲劇的なものは、その細部に悲劇すらをも宿さなかった。むしろあからさまに見えるものは、目をあてられないほどに単純な悲劇的結果であって、その過程にはなんらの衝動も、なんらの傷痕も隠れてはいなかった。したがってそれは結果から原因を想像するほうがよほど悲劇的になりうるのであるが、実際には淡々と非悲劇的時間の経過するさまを眺めるほかないのである。
 ――別の記憶。さるにても完璧は見出されなかった。彼女の技巧は、すくなくとも数年前に見た舞台と較べたなら、はるかに力強さを逸している。萎えたかつての精巧純白な技術の中には、しかし頑なな発条(ばね)が撓(たわ)んでいて、彼女が辺りを彷徨うほどに、外皮の枯れてすっくとした心髄の強さを垣間見せるのであった。それは個人的な技倆に根ざした強度ではない。個の晦(くら)みゆいたあとにたなびく、過去の木霊である。
――別の記憶。すでに古びはじめている作品の微細から、可能性たることすら許されなかった可能性の物音が近づいてきている。未来を象る未来でないものが、地底の奥底から、この世のものとは思えぬ夥しい叫喚の鳴動に身を震わせている。そこで踊っているのは誰なのか、一瞬その存在を疑ったとき、それを「疑えた」ことに対して蒼白な顔をした。そのような行為を真似できたのは、観客ではなかったはずである。だが蒼白な顔をしたのは、私であった。

 信じがたいことに、私は存在の揺らぐ一瞬に立ち合ったのである。このまま見続けてよいものなのか、自信を失ったのも確かである。だが私には何者も止められない。それは今のところ、まだ作品であったからである。

(鷲見雄馬)
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【バレエ(全2幕)】
題名: ジゼル 
振付: ジャン・コラーリジュール・ペローマリウス・プティパ
音楽: アドルフ・アダンほか
初演: 1841年、パリ
配役: ディアナ・ヴィシニョーワ(ジゼル)、コンスタンティン・ツヴェレフ(アルブレヒト)ほか
公演: 2013年11月16日、ルーセントダンスシアター(デン・ハーグ)


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