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2015年5月24日日曜日

第4号合評会の報告


  みなさんこんにちは。
  運営委員の宮田です。

  ご報告が遅くなってしまいましたが(はや2週間!)、5月10日に『新論説集「マージナリア」第4号』の合評会を開きました。
  10人くらい来てくださり、規模は大きくありませんが楽しく議論できたと思います。主催者としてはいろいろ反省もありますが、また次へとつなげていきたいです。

  当日は、第4号のなかでも6つの企画に絞って話し合いました。
  6つの企画の詳細については、この間のお知らせを参照していただければと思います。

  話し合われたことを、私自身の視点からですが、ちょっと振り返ってみます。

  • Define your discipline.
  「あなたの学問・専門を定義してください」という(なかなか思い切った)お題だったわけですが、そこに書かれた文章は、書いた人の主観を大きく反映していました。きわめて客観的に、必要最低限のことだけ書いたものであっても、こうして並べられると「定義してください」という問いに対する、その人の理解や態度を示すものになるようです。
  たしかに一方では、学問・専門の分類や秩序付けは可能だと思われます。しかし他方、単なる分類などではなく、学問・専門との主観的な関わり方をも手掛かりにして、「そもそもこの学問は何をやっているのか」とか「実はこの分野とこの分野は似たような営みなんじゃないか」とか考えることができるように思われます。まさにそういう思考がこの「マージナリア」で育まれるだろう、とこれは私自身の期待です。


  • 6冊書評
  皆なんらかの仕方で書き方に工夫をしており、なるほど面白いな、と思わされます。6冊紹介するとなると、文脈を作ることが必要になるわけです。一冊の本、というとなにか確固として揺るがないもののように思われますが、その本自体に文脈が与えられないと、紹介ということはできません。「こういう本である」というのは案外、紹介者の見せ方次第です。そこで書き手の姿も見えてきます。
  しかし紹介する、というのも自明のことではありません。果たして読んでほしい、と思って紹介しているかというと、必ずしもそうではない。皆さんは本を紹介するというとき、どういう本を誰に薦めるでしょうか。
  そういうことを考えると、「お薦めしない本」を紹介するという試みもやってみると面白いかもしれません。

  • テーマ論説「自由」
  「自由について自由に書いてください」という、自由すぎるお題でした。そもそも「自由」といってもさまざまなものがあること、そして書き手それぞれがどういう視点から「自由」を捉えるかということ、これが集まった文章からはうかがわれます。必ずしも明示していない部分で、「この書き手はどういうものから自由になることを「自由」といって想定しているのだろうか」ということも読み込めそうです。どう読むかということも読み手の「自由」になるわけですが、あまり自由だと、かえって読みの可能性は見えづらくなります。このあたりの葛藤は、何かを表現するというとき、一般的についてまわる問題だという気もします。
  それにしても、自由について語るということにはどういう意義があるのでしょう。自由について語れば自由になる、というわけではないでしょう。しかし、語ることによって自分の在り方をより深く理解するならば、それは確かにひとつの自由を勝ち取ることであるようにも思われます。
  ……「自由」などと言ってしまうと話が抽象的になっていくのが難しいところです。

  • 短評
  「どうしたあの羊たちは逃げ出さないの?」という子供の問いに答えてください、というお題でした。いろいろな書き方が見出される、というのはもちろんなのですが、一方で、実は共通点が結構あるのじゃないか、ということも指摘されました。なんらかの意味で子供のために、ということや、「あの羊たちはね…」というように羊の主体性を認めていることなど。なんにせよ、想像力を膨らませるお題です。自分ならどう書くだろうか、という意欲が動くのではないでしょうか。
  「短評」の企画は前から、自分の所属や専門を併記させて、それをどう反映させるかというような試みとしてやってきました。お題によってその反映のされ方は異なってくるように思われます。所属などにかかわらず、短い文章で自分のアイデンティティを表現するというのは、工夫の求められることです。

  • 闇鍋読書
  異なる分野の本を紹介しあって、感想を書くという企画です。果たして分野ごとに思考の仕方が違うのだろうかとか、分野によって「本」の存在はどういうふうに違ってくるのだろうかとか、前の "Define your discipline." とも繋がる話です。企画の目標が「異なる分野の思考法を体感する」というはっきりしたものだったので、議論も活気づいたように感じました。
  分野ごとに異なる発想・考え方はもちろんあるのですが、本を読むというと、そこに自分自身の思考も加わってきます。するとなかなか、分野の違いということだけで割り切れない部分がでてきます。そういう「はみ出す」思考に対してどういう態度をとるかということも、それぞれの人によって、また分野によって違うでしょう。単にいろいろな分野を知るというだけでなく、多様な分野について多様な人々で話し合うということ、やはりこのプロセスが欠かせないのだろうと思います。


  • 写真と詩「300年のヒント」(文・おさないひかり/写真・川上向子)
  これは企画というより、ひとつの作品として扱いました。数枚の写真に、文章が重ねて配置されたものです。どういうものかについては、現物を見ていただくしかありませんが…笑
  作品を鑑賞するということと、それについて議論することとは、また別のことです。今回は鑑賞と議論とがどっちつかずになってしまったかもしれません。しかしこの作品自体の面白さは、いくらか引き出して共有できたと思います。重ねられた文章が、写真の説明ではなく、作品そのものから語り出してくるかのように受け止められること、写真と文章とが、それぞれもう一方の見え方を規定すること、そして「300年のヒント」とは何へのヒントなのか、誰へのヒントなのか……というようなこと。
  この作品を鑑賞するだけではなく、ここから、そもそも論説という形式で表現することがどういう必然性を持つのか、といったことについても、考えを深められるだろうと思います。



  • 総括として――企画の提案

 最後に全体の総括として、今回企画を振り返ってわかったことなどを踏まえ、「こういう企画をやってみたら」というのを提案しあいました。すこしだけご紹介します。

・ 学問の体系について、数人で徹底的に話し合って一つの形にまとめる
・ なにか「同じこと」について、それぞれの人がそれぞれの仕方で表現する
・ 「論じる」のではなく、「行う」――たとえば模擬裁判のような

  私自身の感覚ですが、参加してくださった方の意識として「ひとりひとりが考えるだけでなく、「共に考える」あるいは「共に表現する」ということを考えよう」また「表現の仕方それ自体を省察しよう」ということがあったように思います。


*   *   *

  さて、振り返りはこのくらいです。
  また第5号へ、さらに活動全般へとつないでいければと思っております。

  それでは、またお会いしましょう。

(宮田)

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