【委員連載④】 ハイシャを選ぶ
歯が痛くなってきたので、歯医者に行くことにした。
実は、以前から虫歯の治療のために歯医者に通っていたのだが、治療しなければならない歯が多かったうえに、そこの歯医者は予約が取りづらくて、隔週の土曜日に通うというありさまだったものだから、いっこうに治療が終わらず、そのうちに自分も学業が忙しくなってしまったために、治療が終わる前に行くのをやめてしまっていたのである。だいたい、歯医者たちはなぜか当たり前のように平日に予約を入れたがるのだが、自分のような大学生の中では相当暇な部類に分類される人であっても、平日に歯医者に行く時間というのはそうそうとれるものではないのであって、ましてや勤め人となれば、自分の想像力の中では、彼らは虫歯を放置せざるをえないのではないかと結論づけるほかないのである。
余談だが、この歯医者もまた、以前の歯医者に不満があったために移ったところなのだが、以前の歯医者はどこが不満だったのかといえば、治療が痛かった、この一点である。
幸いなことに、わが町にはまだまだたくさん町歯医者があることは日頃ぶらぶらしながら知っていたので、できるだけ予約が取りやすくて、複数の虫歯を一掃してくれるような歯医者を調べてみることにした。
すると、はじめにヒットした歯医者が、当院のポリシーは万人受けするものではないのでご注意ください、と謳っている。これはどういうことだろうと思うと、曰く、現状の歯科治療は対処療法に堕しているが、虫歯というのは本来、生活習慣の乱れ・身体のバランスの乱れによって起こるものであるから、当院では根本的な原因までを含めて、総合的な治療を目指す云々、と。
これにカチンと来て(事後的に分析するならば、オマエの生活習慣が悪いから虫歯になんかなるんだと不当に批判されたと感じて不快に思ったため、この論理に反論しなければならないと思って瞬時に反論を構築して)、大きなお世話だ! そもそも自分に虫歯が多いのは自分がズボラなのではなく(ズボラだけれど)口腔内のpHが酸性寄りであって虫歯になりやすい体質だからだと思っていたけれども、その体質も生活習慣のせいだというのか、たしかに自分はお世辞にも健康的な生活を送っているわけではないが、だれが好き好んで不健康な生活を送っているというのか(好き好んで夜更かししたり間食したり運動しなかったり心を削るような世界に足を踏み入れているのだけれども)、先の事情でなかなか歯医者に通うことができなかったのだけれども、だれが好き好んで歯医者に行かないでいたというのか、どうせ治療といっても、生活習慣がなんだかんだといって、自由意志を持つ主体に虫歯の責任を押し付けるようなお説教をするだけなのだろう! と思ったのである。
けれども、自分は他人を批判するのに慎重な人なので、好意的にこのポリシーを解釈して、実はこの歯医者は、自分の身体のバランスを乱してしまっている、背後にある社会的矛盾をも治療しようとしているのではないか、という可能性に思い当たった。
それと同時に、フランツ・ファノンというフランス帝国の精神科医のことを思い出した。ファノンは、はじめはフランス植民地のアルジェリアで精神科医をしていたのだが、アルジェリアの精神病患者の病を引き起こしているのは植民地主義のもとでの社会矛盾であると考えて、精神科医から転身して、アルジェリア独立運動の活動家となった人物である。
そうだとすると、ファノンのように、その歯医者は自分が相談に行けば、不当に多い卒業に必要な単位数だとか、胃をちぎるような〆切の数々だとか、この社会に蔓延する、異質なものに対する許容のない同調圧力だとかといったものを、一掃するために活動家に転身して戦ってくれるのかしら。具体的にはどのような活動をするのかしらん、選挙に出るのかしら、影響力のある文章を執筆するのかしら。歯医者の白衣を着たままたたかうのかしらん、それは絵的にはとても面白い話だ。
しかしこちとら思想を生業とする者である。思想の領野こそがこちらの戦場である。ド素人の歯医者に、自分の代わりにたたかってもらうほど、ズボラなことはないのである。アルジェリアの精神病患者たちは植民地主義とたたかうことができなかったかもしれないけれども、自分の場合には事情が違うのである。歯医者は虫歯を削って詰めていればいいのであって、歯を失うことに伴って患者を苦しめる、虫歯の責任を本人の怠惰に帰す思想や、身体の一部が不可逆的に欠損するという喪失感といったものは、自分に関わる限りでは、自分がたたかって片付けるべき問題なのである。やはりこの歯医者は大きなお世話である。
2つ目にヒットした歯医者は、お客様の希望に合わせて、すなわち都合のいいように、治療をしてくれるそうだ。自分はその歯医者に予約を取った。
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