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2000年2月15日火曜日

Phase Reading



Introduction from Marginalia No.2

 今号の「自由投稿」には、8 名が日本語で(うち2名は2作品提出)、5名が英語で御寄稿してくださっています。したがって、これら計15の文章に対し、それぞれ1つずつの「二次的な文章」が添えられることになります。
 大まかなコンセプトは、それらの自由投稿に対して、参加者が個々人の形式において応答するというものです。たとえば、ある原稿に対して論評するもよし、英語の原稿に対して翻訳という形で応答するもよし、五七五で書かれた文章に七七で返すもよし、はたまた註釈も可能です。要するに、どのような形で応答するか、というクリエイティブな発想が求められます。
 昨今、読み手を意識しない書き手、書き手を慮らない読み手が増えています。読むことのみならず、書くこともまた人口に膾炙するようになった情報社会においては、私的な日記を装ったブログや、「つぶやき」と称して無作為な短文を発信するツイッターの登場により、まるでレトルト食品と手作りの料理の差異にこだわらない暴飲暴食のような、いわば暴書暴読が多々みられるようになりました。
 しかしそれは本末転倒、われわれはなにも読むこと・書くことの猿真似をするために貴重な時間を費やしているのではないはずです。書き手は1人の読者として、読み手は1人の筆者として、鏡に映ったみずからの肖像を顧みるべきなのではないでしょうか。新論説集はなにも専門の書き手を養成する場ではありませんが、本企画――読み書きを1つの冊子において共有する試み――によって、筆者そして読者のみなさんが、自分の論説はいかに読まれているのか、また他人の論説はいかに料理すべきか、といったことについて考えなおすきっかけを得られればと思います。
 内容は1 文600 字以内(or in 150 words)、どの言語で書くかも個々人の自由です。各人の創意工夫をお楽しみください。
鷲見雄馬Yuma Sumi



Introduction from Marginalia No.3

 この企画は、第2 号の「二次的な文章」にさらなるひねりを加えたものです。
 従来の「二次的な文章」には、「前号への評」との区別がつきにくいという難点がありました。以前述べた通り、「二次的な文章」のコンセプトは次のようなものでした。
 「大まかなコンセプトは、…自由投稿に対して、参加者が個々人の形式において応答するというものです。たとえば、ある原稿に対して翻訳という形で応答するもよし、五七五で書かれた文章に七七で返すもよし、はたまた註釈も可能です。要するに、どのような形で応答するか、というクリエイティブな発想が求められます。…」
しかしながら、その応答形式が論評という形をとった場合、当然のことながら次の号における「前号への評」と元の「二次的な文章」の弁別は不可能であり、「二次的な文章」が自由投稿と同じ号の中に組み込まれている意義にも多少の疑問を生じざるをえませんでした。
 今回あらたにPhase Readingという名をとったのは、企画の拡大解釈によって上記の問題を解決しようと試みたためです。自由投稿をPhase1、二次的な文章をPhase2とし、このPhase2に対する自由投稿の著者の返信を(次の号での掲載という形で)義務付けることで、Phase3――すなわち三次的な文章の掲載を可能にしました。Phase Readingは単なる「二次的な文章」とは異なり、ここにとどまるところを知りません。希望者のある限り、Phase4も可能ですし、それに対する著者の返信、すなわちPhase5もありえるでしょう。ただ一つ留意すべきことがあるとしたら、それはつまり、こうしたやりとりが全て私信ではなく、読者のために開陳されているということです。この点で「二次的な文章」のコンセプトはいまだ揺らいでいません。「…われわれはなにも読むこと・書くことの猿真似をするために貴重な時間を費やしているのではないはずです。書き手は1人の読者として、読み手は1人の筆者として、鏡に映ったみずからの肖像を顧みるべきなのではないでしょうか。…」
 日本語の場合1文600字以内、アルファベットの場合150語以内を制限としていますが、どの言語で書くかは個々人の自由です。おのおのの創意工夫をお楽しみください。
鷲見雄馬Yuma Sumi



"Phase Reading" in Marginalia No.3 will be coming online soon!



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