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2005年1月11日火曜日

C テーマ論説 / Thematic essay


企画番号C「テーマ論説」

テーマ担当者:沖田征吾(作家)

〈企画紹介〉(宮田晃碩)
 「テーマ論説」では毎回、その回の担当者が自らテーマを設定し、そのテーマのもとに論説を募ります。第1回のテーマは「自由」でした。「テーマ」というのはもちろん、どういう論説が書かれるかということについてひとつの制限を加えるものです。例えば「自由」というテーマであれば、「自由」について書くという制限が加わります。いたって単純です。単純な企画なのです。
 しかしそれは本当に、単純なことなのでしょうか。それが単純に見えてしまうのは、私たちの思考が凝り固まっているから、という可能性はないでしょうか。ひょっとすると「何かについて書く」とか「何かについて表現する」ということは大きな広がりを持っているのに、私たちがふだんそれを狭い範囲で考えてしまうために、その広がりが見えなくなっているのかもしれません。もしそうだとすると、何かひとつの言葉について、例えば「自由」という言葉について私たちがふだん持っている考えも、凝り固まったものになってしまっている可能性があります。
 それを解きほぐそう、というのがこの「テーマ論説」という企画のねらいです。毎回、その回の担当者が、テーマに関して短い導入を載せます。どういう導入を書くかということはまったく、そのテーマ設定者しだいです。それを踏まえてそのテーマについて書く、というのがこの企画の内容です。

第3回 テーマ「恋愛」 (テーマ担当:沖田征吾)

 「好きなのだから仕様がないという嗄れた呟きが私の思想の全部であった」(太宰治「ダス・ゲマイネ」)

 「恋愛」をテーマに書いてくれ、と言えばそれ以上の説明は不要だろう。書くことが自明だから? いや、逆だ。もはやどんな切り口だってアリだ、ということを、きっと読む側も書く側も了解してる。今は12月、クリスマスのイルミネーションにカップルが群がっても、みんなが記事を書く頃、バレンタインデーの広告が街を席巻しても、あるいは4月、新しい出会いの中で「彼氏/彼女いるの?」の大合唱が轟いたとしても――さよなら、20世紀、もはや「恋愛」が本質で、正常で、人間にとって不可欠だ、なんて本気で叫ぶ人は居ないだろう。
 このテーマは陳腐で面倒なものだ。それは「戦争」とか「禅」について書くのと同じ困難さがある。すなわち、経験が理論に優先してしまう。「戦争に行った経験が無い人が、戦争について語ってもリアリティが無い」というあの理論。「お前は本当に人を愛したことがないんだよ」というあの理論。「セックスをしたことが無いくせにセックスについて語ってるの?」
 何がリアリティだ。クソくらえ。そうでしょう? とはいえ、一方で現代は、社会学とジェンダー論と権力論と文化論の重装備で、「恋愛」の幻想と本質をバラバラに切り刻み、解体し尽くしてしまった、という思いもある。本質主義者の血を吸って、草も生えない荒れ野原。そんなのお構いなしに、いま僕の目の前、表参道のマクドナルドの片隅で、初々しい中学生カップルが、ほとんど唇が触れそうな距離で幸せそうに語り合っている。僕らのほとんどは「恋愛」結婚で生まれたし、これからもそうだろう。存在の証明! 社会は間違いなく「恋愛」を1つの軸としてブンブン回ってる。功利主義も人権も法律も、ときどき命だって、恋愛の前には膝をつく。「好きなのだから仕様がない」
 そんなわけで、僕が期待するのは、恋愛経験主義者たちをまとめて串刺しにし、返す刀で恋愛解体論者たちの不毛な議論もバッサリ切り捨て、なおかつ僕の目の前の中学生カップルに「つまらない」と投げ捨てられもしないような文章だ。シンプルにしよう。体験・分析・社会のどれか1つに偏らないでほしい。幻想を構築しながら解体し、解体しながら現実社会に触れ、社会を分析しつつ恋愛の固有性、一回性を捨てないで欲しい。


 執筆にあたっての注意事項については企画概要をご覧ください。
 本企画は、第6号出版後、新論説集「マージナリア」公式ウェブサイトに全文が転載されます。
 執筆希望者は1月31日(日)までに、参加の旨を編集部にまでお伝えください。
 提出期限は2月14日(日)です。

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C "Thematic essay" 

Project leader:Seigo Okita(writer)

only in Japanese





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