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2015年5月2日土曜日

【委員連載②】 余生的生の実感

▲トビリシ(ジョージアの首都) 写真はWikipediaより

だから彼らの「記憶」とは、決して残されるものではなかったのだ。毎夜焚かれる炎のように、あるいは酒に酔って歌われる歌のように、ただ生きられ、森へと消えていくものだったのだ。 ――宮田晃碩『映画『パプーシャの黒い瞳』によせて――歌と炎の記憶』  

 トビリシは交通規則を知らない街である。バンパーやフロントガラスの欠損した自家用車やバスが黒い煤煙をあげて走り回り、紙と紙のあいだに貼りついた膠(にかわ)のような渋滞に耐えかねた窓々からは煙草の吸い殻が放り投げられる。メーターを載せたタクシーは皆無で、信号無視やクラクションの掛け合いも日常茶飯事といっていい。中心街になると横断歩道が非常に少ないため、道を隔てた十数メートル先のスーパーへ行くにしても、とち狂ったように押し寄せる自動車の群れを掻いくぐって命がけの横断を試みるか、数百メートルごとに設置された地下通路にまで足を運ぶしかない。
 地下通路の内部は、薄闇につつまれた別世界である。変質者や不審人物がうろつくわけではないものの、その箱穴のような空間にはどこか手入れされることを自ら拒むような暗澹たる趣があり、薄暗い灯りに照らされた土産屋やパン屋がひっそりと並ぶ地下への途上には、階段の一角を陣取って、物乞いのジプシーがわびしげに佇んでいる。
 この半年、私はこの階段を上り下りするのに難渋してきた。トビリシに移り住んでまもない頃に膝を痛め、疲れの溜まった日には顔をしかめながら地上と地下を往来する羽目になった。階段のほうへと足を延ばす数秒の間に、「顔をしかめることは1滴の薬にもならない」と己れに言い聞かせ、また半ばは痛みなく階段を登りきる幻想に思いを馳せるも、最初の1段で現実に引き戻されるこのプロセスがもはや私の日常と化している。
 痛みほど、現実に肉薄する化け物はあるまい。痛みそのものは、どんなときにも幻想をもたらすことがない。痛みはつねに、私を現実へと引き戻すのである。私はいつも打ちのめされる――「あァ、今日も膝が痛い。やはり、思い過ごしではなく、本当に怪我なのだ」。だが私の目に映る現実は、この数ヶ月で少しづつ形を変えてきているように思われる。怪我が怪我でなくなったわけではない。私の思っていた現実のさらに奥まったところで、新たな現実感が根を下ろし始めているのである。
 痛みは、夢や希望に目をくらませて練習という逃げ場に駆け込もうとする私を引きずり下ろす。私は身のほどを知る――身のほどは私の目を覚ます――当たり前にできていたことができなくなる、という過程を伴って。ちょうど階段を上り下りする数秒で痛みと平穏とが交互に入れ替わるように、夢と現実が自意識のうちを目まぐるしい速さで行きかい、まごうようもなく私の神経をすりつぶしていく。ついには痛みが視界を赤く染め、感情と言葉をブラックホールのような一点に吸い込んでいくような感覚に襲われ、周囲の人々や景色はある特徴をまとったただの存在物に見えてくる。漆黒のベールに身を包んだ物乞いのジプシーを見ても、顔立ちの整った柳眉のダンサーを見ても、私に意識されるのはその人間と私との距離といった、物理的な認識くらいである。正直に言えば、この不可解な無感情の毎日はじつに味気ない。あたかも膝蓋骨の小さな一点が、四六時中、なにか狂おしい理性のかなたに私をしまい込んでいるように感じる。
 いまの私にとって、階段脇に居座る物乞いがジプシーかどうかは問題でない。それは私の現実ではないからである。私にとっての現実とは、その物乞いがそこにいる、ということであり、あるいはそこにいない、ということである。眼前にさざめく存在の群れは、いまこの瞬間も膝の痛みを通して、私を非現実的観念から締め出しているようにさえ感じられる。そうした日々にあってこそ思うのであるが、答えの出ない疑問――<膝は治るだろうか?>――に弄ばれるよりも、疑いようのない現実に最後の投擲を試みる――<治るかどうかの心配はせずに、治すために必要なことをする>――ほうが、いくぶん生きた心地のするものである。宮田君は前掲の文章の最後でこう述べている。
パプーシャはただ時代に翻弄され、悲痛な運命をたどったのだと、そう言ってしまえるだろうか。彼女の詩がポーランドに賞賛をもって迎えられたということは、何ら慰めとはなりえない。だが彼女の詩そのものはどうだろうか。何が彼女に、詩を生ましめたのだろうか。何が彼女に[あるいは人間に]、字を学ばしめたのだろうか――。
彼は映画を観た感動のままに答えを用意しなかった。逆に言うと、いまの私は答えの側に身を寄せるがために、感動を失ったのかもしれない。私はなにもネガティブに言うのではない。痛みを受け入れて姑息に生き延びる私自身の鼓動を、数千字の日本語に置き換えてみたまでである。




【委員連載③】につづく
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