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1975年9月9日火曜日

吉村勇志『倫理とコミュニケーション』

Phase 2: 吉村勇志『倫理とコミュニケーション』に対する、水口智仁のexpression


 本論説で吉村氏は、「異なる思考プロセスを持つ者同士の対話は極めて困難」と主張している。このことは大学等で専門教育を受けたことのある人なら実感を持って理解できるのではないか。私は医学部に在籍しているが、医師と患者の間で背景知識や考え方が異なるために相互理解が上手く行かないことも珍しくないと聞き及ぶ。また、最近は基礎医学の分野などにおいて、医学部出身で医師としての経歴を持つ研究者と、理学部生物学科等出身の研究者がともに同じ研究テーマに取り組むことが増えてきたが、やはり医学部出身者と理学部等の出身者の間で考え方が異なるために、研究上の戦略をうまく立てられないケースも散見される。なるほど、受けてきた教育、すなわちバックグラウンドが異なる人々同士が互いを理解し合うのは難しい。
 しかし、異なるバックグラウンドを持つ者同士の考え方、「思考プロセス」の違いを克服するのは簡単ではないだろう。専門家の持っている思考プロセスは、専門知識を習得し、知識体系を構築する過程で養われるからだ。こうして得られた専門家の思考プロセスは、非専門家が容易に会得することはできない。意識の高い市民も独学で知識を集める過程で、やはり独自の思考プロセスを作り上げて行くが、それは専門家のものと同じにはなりえない。それゆえ、吉村氏の主張する思考プロセスの共有は、専門知識の習得よりもさらに困難ではないかと私は懸念する次第である。




Phase 3: 水口智仁のexpressionに対する、吉村勇志の返答


 私としての現在の結論は「記号論理学にコミュニケーションの原理を求めることで、思考プロセスの共有は十分に可能になる」ということであり、詳しくは今号の私の自由投稿*を読んで頂きたい。記号論理学とコミュニケーションの関係がよく分からない場合には、レヴィ=ストロース『神話と意味』の第二講を読んで頂きたい。



*:第4号所載、吉村勇志『記号論理学による異分野コミュニケーションの可能性』



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