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1975年9月9日火曜日

三村一貴『これをおもへば』『これをおもふは』

Phase 2: 三村一貴『これをおもへば』に対する、宮田晃碩のexpression


 私は嘗てこう書いた。「私が読むとき、そこでの誠実とは、書いた人に対して為されるものである。もちろん古典を読むときなど、その言葉は私を想定して発せられたものではない。それでもやはり、その言葉は私に向けられているのである。私の聞いてしまった言葉は、私に向けられているのである。そのようにしてのみ私の誠実はある。」「これをおもへば」に遂行される〈訓読〉もまた、この「誠実さ」の燦きである。一体に〈訓読〉というものは「訓読文」無しに成立するものではない。しかしその遂行に於いて志向されるのは「訓読文そのもの」ではなく〈訓読の文体〉である。この志向に於いて〈訓読[文]的思考〉が可能になるのである。然りとすればその〈訓読の文体〉とは奈辺に存するものなのか。よく知られた言い方で言えばそれは「伝統」であろう。しかしこれは一つの固定した文法規範とか方法ではあり得ない。「訓読文」そのものが〈読み〉の「軌跡を留めた」ものであり、〈伝統〉の存するのはその〈読み〉の遂行に於いてなのである。実証性や客観性は、それ自体を教条に掲げるならばこの〈伝統〉をある一つの規範に硬直させることになる。その教条の下に「學問と人生と」を結び付けんとすれば恐らくひとは、人生を学問に捧げることになろう。だが我々の誠実さにとって必要なのは寧ろ、人生を学問にではなく、学問を人生に捧げることが出来る、そういう学問の遂行なのではあるまいか。


三村一貴『これをおもふは』に対する、宮田晃碩のexpression


 「あの震災のやうに……」この言葉を前に私は息を詰まらせる。我々はあの時、言葉を失った。命が失われたのだ、幾つもの命が、ありとあらゆるものが失われたのだ。命などと口に出すことも出来ぬ、失われたなどと口に出すことも出来ぬ。凡そ意味は死んだ。我々の生までもが、死を冒涜するもののように思われた。我々の言葉も同時に死なねばならぬと思われた。生も言葉も、あらゆるものが言い訳がましく、その無意味さを醜く飾り立てているもののように思われた。「あの震災のやうに……」ひとはこの言葉を以て不誠実と為すやも知れぬ。「あの震災」を何か「世界」に還元しているかの如く糾弾するやも知れぬ。確かに実際、あのとき生を引き裂かれた人に面と向かって、言葉が何程のものであろう。巨大な沈黙を背にして、言葉は何を意味しよう。しかし我々はこの言葉を受け止めねばならぬ、自ら発さねばならぬ。言葉は死ななかったのである。

六、 対話
 Also sagen wir: „Jedes Nicht-Verstehen ist daher immer zugleich ein Können-Verstehen.“
だから我々は言うのだ、「それ故どんな非-理解も、つねに同時に〈希望〉である」と。

七、 希望
 あなたは世界へと向かう。あなたもこうやって、待っていてくれる。約束も無しに、誰を待つのかも知らずに。しかし、それ故にこそ、私はあなたの希望であり、あなたは私の希望である。




Phase 3: 宮田晃碩のexpressionに対する、三村一貴の返答


 讀者には誤讀する自由も與へられてゐる。所定の手續を踏んだだけの讀みと、そこからさらに意を決して踏み出した讀みとでは、どちらが有意義であらうか。無意味であるにも拘はらず〈祖述〉を強要する文章と、「来る者は拒まず、去る者は追はざる」文章とでは、どちらが高潔であらうか。
 わたくしの文章が宮田君に何らかの啓發を與へ得たならば幸福である。また何らかの〈追體驗〉を讀むたびごとに味はひ得るものになつてゐたならばさらに幸福である。既に過ぎた〈原體驗〉が彼の中に蘇つた時、「言語[体験]の恣意性」《§Ⅰ-「B1」》は乗り越えられる。わたくしはそれが可能であると信ずる。そして自らを信じ、宮田君を信ずる。さうでなければ、二次的な文章の依頼は彼への嫌がらせに過ぎなくなるではないか。



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